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気持ちの変化

なんだか最近サボってるなぁ。おかげ様で仕事も増えて、帰りが10時ごろになることも多く、ご飯食べてお風呂入って旦那の相手してたら寝てしまいます(笑)。今日も旦那は夜勤です。お疲れ様。たった今、お見送りをしたところです。

テレテレと編んでいたボレロが完成しました。

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これからの時期、トレーナーやセーターの上からも着られるように袖を大きめに作ったら大きすぎました(笑)。で、来てみたところ、暖かいのですがなぜか肩が凝る・・・。旦那が「どれどれ、どういうことだい?」と羽織ってみたところ「あったかい♪」とお気に入りで、こんなデザインなのに旦那が着ています(爆)。熱がりの旦那には珍しいことなのですが、最近首筋が冷えるらしいのです。ちょっと心配。





私が「子供が欲しい」と思い始めた頃、「絶対に女の子がいいなぁ」と思っていたし、旦那にもそう言っていたし、勝手に女の子の名前をつけてお腹に呼びかけたりしていました。あの頃私は小さい子供を相手にした仕事をしていて、男の子の元気の良さ、と言うか有り余るパワー、と言うか(笑)まぁ早く言ってしまえば「男の子って乱暴」っていう印象がありました。特別男の子が扱いにくかったと言うわけではありません。でも、お母さんに体当たりしていたりよじ登っていたり・・・。とてもそんな相手はできないと思っていたのでありました。

それから今まで年齢を明かしてきませんでしたが(笑)、私は来年の誕生日で35になります。年齢を考えると障害児の生まれてくる確立がぐ~~~んと高くなるそうです。「障害児も健常児も子供には変わり無い」というのは事実でもあり、きれいごとでもあります。私は実際に知的障害児を相手に仕事をしていた時期もありました。まだ何もわからないままに彼らと接していたせいもあると思うのですが、私の言っていることをわかってもらうこと、彼らの思いを汲み取ること、何かを身につけてもらうこと、そんなことに膨大な時間を費やし、何をすべきなのか、どこを目指すべきなのか、ゴールはどこなのか、と思い悩んだ日々でした。

私も苦しかったけれど、きっと彼らも同じように苦しかったのだと思います。わかってもらえない苦しみはお互い様です。

身体障害であったり、知的障害児の子育てなどがテーマになった連続ドラマがここ何年かで増えてきましたよね。私の一番古い記憶は「愛していると言ってくれ」なのですが、もっと前にもあったでしょうか。「ハッピー」や「君の手がささやいている」は単行本を熱心に読んだ記憶があります。「光とともに」も観ていました。「僕の歩く道」も時間の合う限り見ています。

この中の出来事ってどれぐらい現実に近いのでしょう。「ドラマ」というだけあって出来事も、周りの人の変化もとてもドラマチックで(笑)、「こんな上手くは行かないよ~」とうがった見方もしてしまう私です。

でも、本当はドラマよりもドラマチックなのが現実です。周りの人には小さな出来事で、気付かれないことすらあると思うのですが、お母さんにとってはものすごいドラマチックなことが起こっていると思います。最近ふと思い出したのです。あの子達と初めて何かができた時に喜び合ったこととか、お母さんと話し合って話し合って一緒に頑張って心の底から感謝していただいたこととか。

「障害児教育は教育の原点」とよく言われます。あれを中途半端な気持ちで教育界に身を置いている人には言って欲しくないのですが、本当に原点だと今になってよ~~~くわかります。これは私の考えなので間違ったところもあると思いますが、障害児教育って「できること」を見つけてゆくし、「できるように」工夫してゆくんです。そして、特に知的障害児と付き合ってゆくには「信じて待つ」ということが必要ですし、見返りを期待してはいけません。

これって本当は健常児の教育にあってもなくてはいけないことなんです。でも健常児は妥協してくれるし、その場を上手くすり抜けてくれたりするからつい忘れてしまうんですよね。でも、子供のできることを見つけて、できないことはどうしたらできるか考えて、自分が感謝されるとかそういうことを期待しないで、どんなに時間がかかっても、どんなに失敗しても、本人が諦めてしまっても、それでも信じて待ってあげれば人を傷付けるような子にはならないと思うのです。自分は誰かのかけがえの無い一人であるという自信があれば、人を傷つけておとしめて優越感を得る必要なんてなくなると思うのです。

そうやって大人が真剣に子供と接していれば、子供は大人の言うことに耳を貸すんじゃないかと思うのです。子供はちゃんと見ています。耳を貸す価値のある大人なのかどうか。

話しがそれてしまった・・・(汗)。

こんなことを考えていたら、障害児でも健常児でもそれはどっちでもいいじゃん、と思うようになってきました。障害を持った子供が家に来てくれたとしたら、それは子供とも自分ともしっかり向き合って生きてゆきなさいということなのだという勝手な結論に至りました。健常児であっても、自分の夢を押し付けたり、勝手な将来像を押し付けたりせずに、ちゃんとその子を見ることを忘れると、誰も幸せになれませんよね。

そんなことを考えながら毎日を過ごしていたのですが、最近「男の子もかわいいなぁ」と思うようになっています。今、小学6年生の男の子の算数を担当しています。私一人に対して二人の男の子で授業をしているのですが、この子たちがわかいいのです(笑)。二人はお友達で、お互いに協力したり、ライバル視したりしながら頑張っているのですが、本当に素直できらきらした目をしていて、何度も同じ問題を間違えて私に怒られては「うを~~~~~っ!」と叫んで頭を抱えています(笑)。こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、子犬のようになついてきます(笑)。

そうか、体当たりしたりよじ登ったりする子供達も、ここまで大きくなったらこんなにかわいくなるのか、と思いました。それなら男の子だって悪くないじゃない、と。

去年流産して、まだこのお腹は空っぽで、切実に「赤ちゃんが欲しい」と願っていると言いながら、私は「女の子がいい」だの「障害児だったらどうしよう」などとわがままなことを考えていたのでありました(笑)。そんなことを考えていたから赤ちゃんができなかったんだとは思いませんが、もしかしたら今までの時間は「どんな命も祝福して迎えられる母」になるための準備期間だったのかなぁ、なんて思います。

この仕事をしていて本当に良かったと思います。子供って真剣に向き合えば本当にたくさんのことを教えてくれます。今まで関わってきた子供達の一人でも欠けていたら今の私にはなれなかった。本当に感謝です。

若くて美人でスタイルが良くてお友達が羨ましがるお母さんにも、中身では負けないお母さんになるからね(笑)。

「障害児」とか「健常児」という言い方、今はしていないかもしれません。この言い方で不愉快に感じてしまった方、ごめんなさいね。
by kijitora-love | 2006-11-29 17:14 | 「おかえり」のために


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